少年時代、真夏の陽を浴びながら近くの神社で蝉取りに勤しんだものです。
あの頃は木の肌に同化したアブラゼミやニイニゼミをすぐに見つけることできましたが、最近自宅近くの桜並木の低い位置で鳴くセミの姿を目を凝らしても一匹も見つけることができません。
左脳中心になってしまっている日常が視野や視点を変えるのか、それとも当たり前と思っていた能力が年齢とともに失われていくのか、考えることがあります。
木の高いところ止まっているクマゼミを見つけたときの感動をもう一度味わってみたいものです。
様々な想いが交じり合う特別な夏に、得たものも数えてみようかなと思っています。